2008年5月 2日 (金)

ベニー・グッドマンに遭遇

通っているYAMAHA音楽教室が主催する、二年に一回のアンサンブルフェスティバルに出場することになった。同じ教室に通っている生徒は5名ほどいるが、参加を希望したのは僕だけだった。アンサンブルがやりたくて通っているので、案内されたときに断る理由はまったくなかった。

加するのはビッグバンドアンサンブル。100名程度の大編成のようだ。渡された楽譜は、ベニーグッドマンメドレー、シャイニーストッキングスなど3曲。かなりワクワクする。もともと吹奏楽しかやってなかったため、グレンミラーの曲をいくつかやった以外は、触ったこともない世界。

ベニーグッドマンメドレーは、その最後に名曲「Sing Sing Sing」が入っている。1938年にJazzで初めてカーネギーホールで演奏したベニーグッドマンのオーケストラがフィナーレでPhoto_3 演奏した曲とのこと。「スイングガールズ」のフィナーレで演奏されている曲でもある。

このアンサンブル、勝手にパートを選んでいいらしく、みんな1stを希望しないため、目立ってなんぼと思い、一番を吹くことに決めた。Bくらいまでの音で1番も吹けるしなんとかこなせそうだ。

高輪のヤマハ本社での3回のレッスンを受けたあと、本番の文京シビックホールでの本番。トランペットも30名ほどいてかなり音も取っ散らかっていたが、みんなご機嫌に吹いていた。脇を講師のみなさんが支えていたこともあり、なんとか格好はついたみたい。

気持ち良かった!またやりたい。

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2008年3月 9日 (日)

年代-vintage

アンブシュア。ハイノートを出したいと思う僕は、金管楽器奏者ならば誰でも悩むだろうアンブシュアの改革に臨んでいる。アンブシュア改革に悩むのはなぜか。たぶん、答えは共通している。音が出なくなるのが、怖いからだ。僕は11歳の時、初めてその恐怖を味わった。

吹奏楽をやったことがある人ならば誰しも、夏の吹奏楽コンクール目指して頑張ってことがあるはずだが、僕は小学校六年生の夏のコンクール直前にアンブシュア改革に乗り出した。ある日、トランペットを吹いている自分を真正面からみたとき、あまりにも右に偏ったところにマウスピースを当てている自分を発見してしまったからである。これを直さないことには、と思いたち、地区予選までの時間は犠牲にすることを覚悟し(地区予選は自分は100%の力は出さなくとも勝てる)、アンブシュア改革に挑戦した。

小学生だから無邪気に臨んだのだが、音は確実に出なくなった。一日1時間はやっていたロングトーンの練習のなかで、ひたすら吹きなれないポジションにMPを押し当て、そこで正確な音が出るまで頑張ることを30日続けた。地区予選はサードにまわしてもらい、高音域は諦めた。夏休みの終わりに九州大会が待っている。ここまでになんとか、新しいアンブシュアを確立しなければならない。はたして、11歳の僕のアンブシュアは30日で改善した。Montepruciano

YTR6320を持ってやっている僕のアンブシュアはあのとき、子供ながらに必死で体得したアンブシュアだ。ただし、アルヴァマー序曲とかコヴィントン広場とかをレパートリーとしていた時代のGまでの音を出せればよかったところに合わせたものだ。

ハイC、D、Eまでを出したい今の自分は、20年ぶりにアンブシュア改革に挑む。やり方はわかっていないわけではない。何をしたら音がでなくなるのか、ある程度はわかっている。ただし、子供のころのような柔軟さは、体からはなくなっている。大人の知恵によって、アンブシュアを変えること。それが課題だ。

マウスピースをいくつか買った。高音が出せるように、エリック宮城の2番を合わせてかってみた。出しづらい。しかも、音が細い。だけど高い音は出る。このトレードオフこそが道具の勝負。ここを基準にしながら、道具ではなく、テクニック改善に臨む。楽しすぎる。

思えば、ワインのビンテージに似ている。アンブシュアなんて。結局それを身につけたときの年代のままなんだ。ぼくの今のアンブシュアは、1986年の年代物だ。これはこれとして、2007年のものに変えようと思いながら、近所の懇意にしているワイン屋で買った2004のモンテプルチアーノを飲む。

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2008年3月 8日 (土)

YTR6320を持って

知り合いから借りたヤマハの楽器はYTR6320。現行のプロモデル6310の前の型式だ。支柱がなく軽快な音色が持ち味。子供のころには買えなかった憧れのBachを買おうかとも思ったが、今更そんなメジャーな楽器を買うのもためらわれた。かといって、シルキーなどを買っても宝の持ち腐れになる可能性もある。結局もう少しうまくなってから、自分らしい楽器選びをしようと思いなおして、YTR6320を持って、教室に通い始めた。合わせるマウスピースはこれも標準の11C2。

今回昨年9月に、久しぶりにラッパを再開したときに決めていたことがある。アンサンブルをやるにあたっては、ハイノートをきちんとふけるようになりたいということだ。子供の頃の吹奏楽団では2ndと3rdしか吹いていなかったから、基本的に上のFくらいまでの音ですべてをまかなっていた。ハイCとかDとか必要がなかったし、練習していなかった。

YTR6320を吹き始めたとき、僕の体はやはり、Fまでの音の出し方を覚えていた。子供のころの修錬とは恐ろしいものだ。ここから少しずつ、アンブシュアを変えて、高音を出していくことに挑戦していくことにした。

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2008年3月 4日 (火)

ビッグバンドをやってみたい!

20年もアンサンブルをやっていない私にとって、身近に入れる社会人のバンドにいったい何があるのか、どんなレベルなのか、まったく見当がつかない。

とりあえず、いろんなところに顔を出してみることにした。まず最初にいったのは、知り合いの飲食店のマスターがやっているジャズコンボ。ピアノとドラムはプロor元プロの人がやっていて、サックス、トロンボーン、ラッパはビッグバンドをやっているなどのアマチュアの人が入っているところ。ジャズのスタンダードナンバーをやってるから、楽器持って来てごらんといわれいってみた。

初めて見たアドリブだけのセッション。これまで演奏する側としてみたことはなかったが、まさにアドリブとは作曲そのものだと思った。ちゃんとジャズのスケールもコードも覚えていない私は、自分のアドリブの番が回ってきても狼狽するばかりで結局メロディラインを微妙にごまかしながら吹くことしかできず、そのコンボスクールみたいなのには、2回いって退散した。

やっぱり、ビッグバンドに入りたい。と思ったのは、楽譜をみてちゃんとふけるようになりたい、というのと、そもそもスケールとかちゃんと覚えたいと思ったのが理由だ。

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2008年3月 2日 (日)

トランペットを再開

トランペットを最初に吹いたのは9歳のとき。それから13歳まで5年間トランペットやコルネットを吹いていた。小学校のブラスバンドは熱心な活動でしられており、夏休みもお盆の二日間しかないくらい練習に明け暮れる日々が続いた。年間300日くらいはラッパを握っていた。中学にはブラスバンドがなく、高校のブラスバンドは雰囲気になじめそうになかったため入らずにいたら、いつのまにか音楽からは遠ざかってしまっていた。

2006年の夏ごろ、知り合いから楽器を借りて吹いてみた。20年近く吹いていなかったし、口の形とかも大人のそれになっていたため不安だったが、トランペットから音は出た。家で吹いてみようと思い、久方ぶりに楽器屋にいってみたら、サイレントブラスシステムなどという便利なミュートが売っており、これを買ってマイルス・デイビスとセッションしようなどと思ったが、結局夜になるとこれとても音がうるさく吹けなくなった。

2007年の夏ごろ、もう一回アンサンブルがしたくなって、とりあえず近所のヤマハ音楽教室に入会した。目標はアンサンブルをやること。ただ、吹奏楽をやるのか、ビッグバンドをやるのか、ジャズコンボをやるのか、まだ自分にはわかっていないし、そもそも基礎的な練習からやり直して技術的にもきちんと身につけたい。そう思って一からやることにした。

これから少しずつ、ブランクを超えてふたたびアンサンブルに挑もうとするプロセスをつづっていこうと思う。

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2007年8月19日 (日)

ペンネアッララビアータとest!EST!!est!!!

最近泳いでいる。泳ぎ疲れるまで泳ぎ、そして帰る。泳法はもっぱらクロール。脇腹の筋が伸びるのを感じるまで腕を伸ばし、そして掻ききることを続ける。体力は増していないが、早くなってきた。この年にして泳ぎが上達してきているのだろう。

さて、泳いだ帰りに近所のスーパーに立ち寄り、coppaとpenneとpomodori缶とサラダ用のベビーリーフとがぶ飲み白ワイン、エストエストエストを買って帰ってきた。

トマトソースはホールトマトをそのままつぶしてニンニクと煮詰めること40分。種がとか裏ごしとかそういう手間は自分が食べる分には気にしない。その横でサラダとコッパとパルミジャーノ・レッジャーノを和え、バルサミコ酢とレモンとオリオオリーバでドレッシングを作る。トマトソースが煮詰まってきたところで、みじん切りのニンニクと鷹の爪のフレーバーをオリーブオイルに移し、ソースをここに入れて煮詰める。penneを8分茹でるのとタイミングを合わせて、ペンネアラビアータ完成! パルミジャーノを今度は削りかけ、サラダとpenneとがぶ飲みワインで締めくくった。

ネロ・ダヴォラはきつかったが、今日は軽すぎた感もある。過去に修道僧が語ったというest!est!!est!!!とまではいかないが、ともかく、夏休みは終わった。

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2007年8月17日 (金)

タリオリーニ di 魚介のトマトクリームソース

「プロバンスの贈り物」を観た。

Cassis主人公MAXの幼少時代に、1969のBANDOL Domaine Tempierが登場するシーンから始まる南仏とロンドンを舞台にした映画。ワインがしつこくなく軽妙に、しかしストーリーの根幹に座っている映画で、BANDOL好きの私には楽しめた。映画館を出てその足で南仏最高の白との噂高いClos Sainte-Magdeleine Cassis Blanc 2003 を購入して帰宅。

このワインを買ったからにはどうしても、魚介が食べたいがこの暑さのなかでブイヤベースもどきを作る気にもなれず、アサリ、イカ、エビをトマトクリームソースで和えたタリオリーニを作った。

だがパスタを作り終えたタイミングでなぜか、シチリアのネロ・ダヴォラをチョイス。脳裏にBANDOLが残っていたせいか濃厚な赤を選んでしまい食事は混迷。迷いは禁物。結局CASSISは明日以降にお預け。

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2007年8月16日 (木)

ブルネッロとLa Vineria

目白の偏執的イタリアワインバー La Vineria にてブルネッロディモンタルチーノと格闘。スプマンテをグラスで一杯、甲州の白を二杯目、その後トスカナのワインと前菜二種、パスタ二種、トリップを一種をたしなむ。

終戦記念日。客はまばらだが、ワインは力強い。イタリア万歳。ひそかに思う。

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2006年2月 8日 (水)

南西フランスの極上ワイン

銀座たるたるにて、スパークリングワイン→白→赤と、都合7杯くらい格闘。グラスワインのオンパレードで、ソムリエ伊藤氏のレコメンドどおりに飲み続けた。

madiran ほぼフィナーレにさしかかった佳境の一杯がMadiranのCh.Montus(作り手はアラン・ブリュモン)のCuvee Prestage

南西のピレネー山脈の麓あたりにある産地とのことだったが、土の香りのする強烈なワイン。南西といってもCahorsのように上品なもんじゃなく、かといってボルドーの端正さともまったく違う。濃い。重い。かなりうまい!すごい飲み応え。写真手前が飲んだCuvee Prestage。ビンの肩のところに滓が着いてしまうくらいの勢いは、かのBandolでもなかなか及ばないかも。

久々に自宅ストックしたいワインに出会った気がした。キュヴェ・プレスティージュじゃなければ、ネットで2000円程度で買える。自宅で飲むなら、少し飲んで食べたあとじゃないと、料理が追いつかない。このワインとまともに格闘できる料理は南西定番のカスレとかじゃなく、なんとなく、豚バラの塩焼きがベストな気がする。

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2006年2月 4日 (土)

Cannonauとサルデーニャ

cannonau サルデーニャ島のCannnonau di Sardegnaという葡萄100%のワインと格闘。

このところ風邪気味で鼻が少しつまりぎみだったのにもかかわらず、しっかりとしたタンニンと熟した果実の香りがあり、しっかりしたワイン。ブルネッロもサッシカイアも鼻づまりゆえにパスしたが、これはかなり買い得。

濃いルビー色や、味は大好きなムールヴェードルにも少し近いものがあり、地中海の土着の赤ワインの気風が漂っていた。

ジビエなどにも合うとは思うが、その素性から考えるとおそらく羊とか牛とかのグリルなど、ラフな料理と格闘させるほうが、正しい飲み方なのではないかと思う。

日本での輸入元は株式会社稲葉

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